とあるハーブ信徒の独白

お許しください


主たる艹口〆様の行いについていけず悩みを抱えていた

かつては艹口〆様を賛美する言の葉を紡ぎ
振る舞いに活力を授かる日々を送っていた
しかしながら心に寸分の傷がひとつ
それは些細な虫刺され程度という認識でいた

我が艹口〆様を崇め奉る理由のひとつ、信仰の気軽さ
艹口〆様の存在が強くなったばかりにそれは失くなりつつある事があった
長期間の顕現、新たなる可能性の挑戦、さらなる信徒を広める良いことだ
ではあるが我には苦しき事であった

信奉者は苦しみを和らげるつもりで提案を述べているのだろうが
そもそも我が病への療法としては間違っている
艹口〆様が偉大になる一方で我が信心は薄れゆく
この思いは我が身に艹口〆様の恩寵の証がないからこそ起こりうるのだろうか
艹口〆様の洗礼を受けずとも日々を過ごせる、だからこそ追いかけていたのに

心の奥からの叫びが聞こえ、何かが崩れ去ろうとしている